禍福は糾える縄の如し
かふくはあざなえるなわのごとし…つい先日ある友人に「どこかいい厄除けのお寺か神社ないかしら?去年からご難続きで…もう消えてしまいたい心境なんだよね」との相談を受けました。
消えてしまいたいなんて何てことを!?随分と悩んでいるようなので友人の話をよく聞いてあげたのですが…なるほど!?プライベートなことなので詳細については書くことができませんが、確かに神様や仏様にすがって救いを求める気持ちにもなる悩み事ではありました。
私は仏教徒であり法華経の信仰をしておりますので、ある日蓮宗の寺院を紹介して「そこの御住職に相談してごらん。きっと力になってくれると思うよ」と教えてあげたのですが、続いて次のような話もしてみました。………昔、中国の北方のある村に、占いの得意な老人が住んでいました。ある日、その老人の飼っていた馬が逃げ出してしまいました。当時、馬は大変高価で貴重な動物であったため、近所の人達は老人を気の毒に思い慰めにいきました。しかし老人は少しも残念がることなくこう言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ」…しばらく経ったある日、逃げ出した馬がたくさんの馬を連れて帰ってきました。近所の人達は老人にお祝いを言いに行きました。しかし老人は首を振り「このことが災いにならないとも限らないよ」と言いました。…それからしばらくして、老人の息子がその馬から落ちて足を骨折してしまいました。近所の人達はかわいそうだと思い慰めにいくと、老人は平然として言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」…しばらくして隣の国の異民族との間で戦争が起こりました。老人の村からもたくさんの若者が戦争に行き、たくさんの戦死者がでました。しかし老人の息子は足を骨折していたため、戦争に行かなくて済み無事でした。………この話は中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれている「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」という話です。老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍から福へと人生に変化をもたらし、まったく人生の禍福というものは予想もできない。だから不幸にくよくよするな。幸福に浮かれるなという教訓であります。私達人間は弱い存在であり、ちょっとしたトラブルに心を乱し、ちょっとした幸運についつい浮かれたりもしてしまいますが…長い目で見れば何が不幸で?何が幸福なのか?全くわからないのです。
そのようなことを延々と友人に話してみたのですが、話を聞いていた友人も最後は青ざめていた顔に赤みが差し笑顔を取り戻しました。良かった。良かった😀…「須賀さん。ありがとう。何だか少し元気になれたよ。これお礼ね!」友人はそう言って一冊の本を私に差し出しました。
本の表題は「ドナルド・トランプ全語録」。本をいただけるのは嬉しいけどなぜ?トランプ?驚いている私に友人は「ブログ読んだよ!須賀さん隠れトランプファンでしょ!」………確かに前回のブログでトランプ大統領の当選について触れましたが…隠れトランプファンだなんて(苦笑)決してそんなことはないのですが😀でもせっかくいただいた本です。早速ペラペラとページを捲ってみました。
するとあるページに意外な言葉が「金持ちになると素晴らしい出来事に遭遇する機会が増えるという事実は否定しない。だがそれは、必ずしもあなたを幸福にしてはくれない。私が学んだのは、富と幸福はまったく別のものだということだ」……「へぇ~ こんなこと言うんだ!結構ピュアな一面があるんだなぁ」私は率直にそう感じました。そして今回のブログのテーマと同じような意味を持つ言葉もありました。
「1日は平等にやってくる。うまくいかない時はそう考えよう。新たな1日が新たなチャンスをもたらすこともある。当たり前のことだが、どんなことでも1日1日とやっていくしかない」………就任早々、過激な発言と大統領令を連発するトランプ新大統領に、不安を感じる人々が世界中にたくさんいます。私もその中の一人です。でもそのことも正に禍福は糾える縄の如しであり…良いことだったのか?悪いことだったのか?とりあえず一期目の任期が終わる四年後にしかわからないのかもしれません…それではまた😀😀😀